憲法が危ない集団的自衛権とは?

2013年2月26日 ねりま九条の会憲法学集会にて

      

         講師 小沢隆一 さん

                   


はじめに
 2011年の憲法審査会が衆議院と参議院で動き始めています。はじめは2007年、前の安倍政権の時に「憲法改正国民投票手続き法」ができた直後から動く予定のものだったのです。安倍さんはそうさせるつもりでした。ところが2007年の参議院選挙で大敗北を期して、参議院は民主党に第一党を取られるという「ねじれ」が生まれてしまって、改憲のスケジュールに狂いが生じました。実は、狂いを生じさせるにあたっては、私たち9条の会が役割を果たしているのです。2007年秋に9条の会が全国交流集会をやりました。その時に加藤周一さんはこんなことをお話になりました。「私たちの9条を守る運動はここまでのところうまくいっている。参議院で自民党を第一党の座から引きずり下ろすことができた。そのことによって私たちは改憲の動きに痛打を浴びせることができたということだと理解していいと思う。しかしこれからが大変だ。福田さんは安倍さんのように単純ではないからいろいろな企みをしてくるだろう。憲法を守るだけでなく、生かす運動がないと大変だ」と。これが加藤さんがみなさんの前でお話をする最後の機会になりましたが、私たち9条の会にとっては加藤さんの遺言でした。2007年は9条の会でそういう取り組みをつくり出すことができたのです。ところが2011年、民主党が憲法審査会を動かそうと言い出しました。当時民主党は逆のねじれになっていましたから、菅首相が参議院選挙で負け、民主党政権の下で民主党が参議院で多数をとれないという状況になってしまい、いろいろな法案が通らなくなってしまった。そこで自公に協力を求めることになります。そこで、憲法審査会を動かすから協力してくれということで憲法審査会が始まってしまったのです。そして昨年の衆議院選挙では改憲派が大幅に議席を増やしました。
 第2期の安倍政権は、明文改憲と解釈改憲(法律をつくって改憲するという意味では立法改憲)の2つを、いわば両刀遣いのようにして私たちに攻撃をしかけております。しかしこれはよく考えてみるとおかしなことなのです。なぜ明文改憲をする必要があるのかというと、憲法ではできないことがあるからです。集団的自衛権は今の憲法ではできないということになっています。これを行使するために明文改憲をする。ところが解釈改憲で集団的自衛権の行使ができる、あるいは法律をつくって集団的自衛権を行使できるとなると、明文改憲はいらないわけです。この矛盾を安倍さんは矛盾と感じないのです。
 石破さんは解釈改憲を主張しています。一方、自衛隊出身の中谷元さんは今の憲法では集団的自衛権は行使できないとして明文改憲を主張しています。石破さんも中谷さんも理屈を通しているのですが、阿部さんには理屈がわかっていない。両方使いたい。何が何でもやりたいという乱暴さ加減が、改憲を望む人にとってはある種の魅力なんでしょうけれど、私たち改憲を許さない国民にとってはとんでもないことであり、怖いことであります。そういう安倍さんが再び政権について、集団的自衛権をまずやろうとしている。そしてそういう深刻な情勢の下で私たちは9条を守る運動をどう取り組んで行ったらいいのかということを、至近の課題としていると思います。

 

 

1総選挙の結果をめぐって─情勢をリアルに掴む

自民党退潮のなかでの「大勝」

 今の憲法をめぐる情勢を考える上で、何はともあれ今の国会を作り出した総選挙がどういう意味を持っているのかということを、事実に即して見つめる必要があると思います。1月のころから、いろいろな地域の9条の会に呼ばれて行ってきましたけれど、その中で出てくる意見は「びっくりした」「あんなに改憲派が勝つとは思わなかった」「あんなに頑張ったのに改憲反対派がここまで小さくなってしまったら、私たちはどうしたらいいのか」というある種絶望感に打ちひしがれるという気持ちを吐露してくれました。議席だけをみれば確かにそう思わざるを得ないのですが、しかし議席以外のところをしっかり見つめることも大事だと思います。変に悲観しないことも今の局面では大事なことなのです。逆に妙な楽観も戒める必要があります。安倍さんは持病で難病を抱えている。潰瘍性大腸炎と一生つきあって行かなければならない難病なのですが、しかもこれに最も悪いのはストレスなのです。だからストレスを抱え込むとまたお腹が痛くなるだろう。そういう状況にある上に安倍さんは明文改憲も解釈改憲も両方やるという、それに矛盾を感じないという浮ついたところも持っていますし、何よりも従軍慰安婦の問題などで右翼の人たちに聞こえのいいことばかりしゃべっている。だから安倍さんはいずれどこかでぼろを出すだろう、そういう期待もないわけでもない。こんなに自民党に勝たせてしまったということで、国民は次の選挙でさすがに二度目はないだろうという、そういう妙な楽観論も私たちは戒めなければならないと思います。


小選挙区制の害悪

 自民党は今回の衆議院選挙では、議席こそ294でしたが、比例も小選挙区も前回を大きく下回っていたのです。比例については今の選挙制度になってからは最低の数字でした。2010年の参議院選挙では1400万しかとっていない。このところ自民党の票は低迷しているのです。小選挙区の場合は民主党に大負けした2009年よりも今回は票を減らしている。にもかかわらず勝っているという結果になっています。なぜこうなったのかというと、小選挙区のおかげなのです。小選挙区のおかげで自民党は43%の得票で79%もの座席を確保しているのです。連立した公明党を加えれば44.4%で82 %もとっています。小選挙区制については、私たち憲法学者は4割の得票で8割の議席を確保でき、民意を正確に反映しない、死に票がたくさん出る。こういう非民主的な選挙制度だということで、導入時から批判をしてきましたけれど、まさにそれが実証された結果になってしまったのです。


戦後最低の投票率

 しかも今回は投票率が10 %落ちました。前回70%あった投票率が10ポイント落ちて60%を切ったのです。そうするとどういうことが起こるかと言いますと、私はまるで潮が引くような状況だと思います。引き潮の時何が起こるか、ちょっとでも高い岩が先に頭を出す、それが小選挙区の自民党の議員だと思うのです。小選挙区は一人しか当選しませんから、一票でも多ければそれで当選する。今回は軒並み接戦でした。民主党があのような形で政権を運営していたことについて、2009年当時、これで自民党の政治を変えてくれると期待した人たちも批判するし、自分たちの思いを実現してくれないと考える財界からもそっぽを向かれる、右からも左からも民主党は支持を失って大きく後退することになりました。その後四分五裂で、結局自民党の一人勝ちとなったわけです。もともと小選挙区制を導入するときに、それによって二大政党制をつくるのだと言っていたのです。「二大政党が理念や政策をそれぞれ掲げて2つの政策の中から国民に選んでもらう、時には政権交代も起こすかもしれない、それが民主主義であり、ダイナミックな政治のあり方である」こういう触れ込みで、導入してしまったわけですが、実際に四つに組んだ総選挙が行われるかというと、そういうわけではないということが今回実証されたわけです。選挙の時の政治情勢いかんではそういう政権選択、政策をもとに選ばれることが公職選挙法の中で実現されることがないということが起こってしまった。特に自民党に対抗する勢力が選挙互助会のように、選挙のためだけについたり離れたりをくり返していました。一ヶ月でなくなった政党もありました。そういう状況の中でこういう結果が生まれてしまったわけです。ですから今小選挙区制への国民の疑問は、「本当にこんな選挙を選んで良かったのだろうか、ちっとも民意が反映しないのではないか」、「自民党に取らせすぎた」そういう疑問です。又、これを推進したマスコミもこれと距離を置き始めています。

 
撤退した1000万票の内訳は?

 今回の選挙で私が注目したいのは、投票率が10ポイント下がったことの持つ意味です。日本の有権者の10%というのは1000万人です。前回に比べて1000万人の人が投票に行かなかったということです。あるいは行っても白票を投じたということなのです。その1000万人はどういう人かということを考えてみます。アンケートができないので調べようがないので、外側からの数字で覗うしかないのですが、比例代表の得票は、民主は前回は3000万票を取ったのですが、今回は1000万を切って3分の2減らしました。2000万票減らすというのはすごい減らし方です。自民党一党分を民主は減らしているのです。自民も減らしています。目減り律は12.7パーセント、公明党も減らしているのですが、これも11.7パーセント減、共産党は126万票減らして25.4パーセント減、社民党が158万票減らしてほぼ50%減、みんなの党は増やして74.5%のアップですが、前回は8ブロックでしか擁立せず、今回初めて11ブロックで擁立したので、比較にはなりません。「維新」が1226万人、未来が340万、こういう数字です。この数字から何が見えてくるかといいますと、前回投票したけれど今回投票しなかったという人の、一番多くの割合は民主党に前回投票した人だということが見えてきます。民主党の減らした2000万票は今回「維新」や「未来」に行っている分が大分多いと思いますが、それでも全部がリカバーできてはいません。その差の部分は何なのかと考えますと、消えた1000万の中に大分混じっているということが考えられます。票の数という点では、共産党が減らした126万や社民党が減らした158万は党にとっては大きな割合です。こういう風に考えてみますと、減った1000万の内、一番多いのは民主で、その次が社民、共産という順番に考えられます。そうしますと、結局今回撤退した人たちというのは、2009年の自民党の政治を変えたいという期待をして、自分の票を託したわけですが、その人たちが今回は残念なことに、「自民党が有利だ」という事前予報をしていたので、今回は「自分が行かなくても行っても同じだ。もうやめた」というふうになってしまったのでないかと思います。今回は東京都では都知事選といっしょになったために投票所の数を減らしたようです。そのために投票所にできた列を見て、「又来よう」、あるいは「混んでいるからやめた」と思ってしまった人もいるかもしれません。今回減らした数は、自民党に行ってしまった数ではないのです。
次の選挙で今の政治がおかしいと思えれば、次の選挙では可能性があるということができるのではないかと思います。その人たちをもう一度選挙に呼び戻すことができるのであれば、それをどういうタイミングで、どういう状況で迎えることができるのかということが大事になってきます。投票率60%から70%に上げるとき、私たちが「なってほしい政治はこれだ」と確信を持って言えるような、そういう状況を作り出すことがとても大事で、今回大分票差が離れたので残念な結果に終わりましたが、東京都知事選挙は一応くっきりと猪瀬知事対宇都宮という形で対抗軸が示せました。かつてこの数回はここまではっきりと政策の違いを際立たせた都知事選挙はなかったわけです。今までは1位から3位くらいまでは違いがはっきりしない人たちが並んでいる選挙でした。対抗軸を明確にした選挙を国政選挙でも作り出せるか、またそのときにどういう選挙制度でそれを迎えるのかということも大事なことだと思います。
 9条の会は選挙制度改革を求める会ではないので、それを自分たちの正面切った課題として取り組むということはなかなか難しいかと思いますが、でも本当に9条を守る、9条を実現する政治を求めようとするなら、選挙制度の問題は決して無視するわけにはいかないということは私たち9条の会に取り組むものとして、やはり意識しておく必要がある。選挙制度の民主的な抜本改革の必要性を意識しながら政治と向きあっていく必要があるのだろうと思います。民意をくまなく汲み上げて、それを政策に反映させる選挙制度が必要である。そういう選挙制度でないと結局有権者は自分の一票が有効に働かないで無駄になるということで、選挙から離れて行ってしまう。小選挙区制を導入してからこの方ずっと投票率はそれ以前に比べると落ちているわけです。中選挙区時代は大体70%を中心にして上下しています。ところが小選挙区制を導入したとたんにいきなり平均値が60%代に落ち込んでしまったのです。2005年の郵政民営化選挙と2009年の政権交代選挙の時は、その時の国民の気持ちをあおる形で戦われた結果、投票率が中選挙区時代に持ち直しましたけれども、又落ち込んでいます。


一票の格差の問題 

 東京23区は選挙区を分断されているところがたくさんあります。行政区画を分断してやる選挙区は果たしていいのかという問題はあります。厳密に全ての選挙区を一対一の平等にしようとすると、極端な話、同じマンションの中で分かれるということもあり得るわけです。最も原則的なのは一対一です。現在は一対二でもっていこうとしていますが、それでも人の倍持っている人が残るわけです。それは選挙権の平等ではないわけです。行政区画を維持したまま一対二に収めようとするとこれはできない。だから23区があちこちで分断されているわけです。分断しても一対二に収めることができない。こういう妙な仕組みになっています。ですから選挙制度の基本設計として小選挙区制というのは落第点をつけざるを得ない、そういうものなのです。しかしこれについては昨年の民・自・公の合意で衆議院の定数削減をする。選挙制度の抜本的な検討を行った上で、今行われている国会の終了までに結論を出した上で必要な法改正を行うということになっていますから、ここも注意を要するところです。

 


2安倍政権と今の国会での改憲策動にどう立ち向かうか

第1期安倍政権の改憲策動を私たちはどう食い止めたか

 2006年~2007年の第1期の安倍政権を私たちは食い止めたわけです。それをもう一度再確認しておいた方がいいと思います。同じことが二度あるとは限りませんが、しかしあのとき私たちはどう動いたか、どう動いたからこそ今の情勢を作り出させているのかということをしっかり掴んでおく必要があります。安倍首相は改憲手続き法を制定して自分の政権の内に改憲をするのだと公言をしながら、参議院選挙であのような形で改憲公約を掲げて負けたわけです。この時彼は当時衆議院、参議院の両方で多数を取っていた自民・公明に猛烈な発破をかけました。とにかく「今国会で改憲手続き法を通せ」と言っていたのです。途中までは民主党も改憲手続き法をつくることには協力していたのです。当時の番頭役だったのは枝野さん、自民党側は船田元さんでした。その二人が途中までは談合のような形で話し合いをして、民主党の案にも譲歩するからいっしょに改憲手続き法をつくろうというふうに進んで行ったのですが、会期末が近づくにつれて安倍さんは「ともかくこの会期中に仕上げろ。民主党がごねても何としてもやれ」というねじの巻き方をしたもので、結局最後の局面では民主党は反対票を投じるという結果になりました。
 当時民主党の代表は小沢一郎さんです。彼の政治行動パターンは、ともかく選挙第一、選挙のためには対決ポーズを作り出すということを2007年のこの時もやって、最後にとってつけたような理由をつけて民主党の議員たちは反対にまわったわけです。


安倍政権の矛盾

 当時は安倍政権自身も国内外に矛盾を抱えていました。安倍さんが改憲策動に熱心になればなるほど、復古的な政治信条を暴露すればするほど、国内外からの反発を招くというジレンマを抱えるわけです。安倍さんは従軍慰安婦の強制などはなかったということを平気で言ってしまう人ですし、日本国憲法は押しつけだということを、戦後生まれであるのも関わらず平気で言う、こういう地金を持った人なのです。でも首相に就任したときにすぐに振り回せることができたかというとそうではなかったのです。当時は小泉さんが靖国神社参拝をやってしまうものだから、日中関係、日韓関係が冷え込んだ状況でしたから、まずは「経済的に重要な日中関係を是正してもらわないと困る」という当時の財界の強い要求がありましたので。まず安倍さんは中国に飛んでいって胡錦濤さんと会談をして日中関係の修復にあたったのです、本人はやりたくはなかったと思います。もともと『正論』とか右翼系の雑誌に反動的な発言をしていたわけですから。今回もそうです、昨年の11月の文芸新聞に「尖閣の問題は、力による解決のケースなのだ」と書いています。今はオバマ会談では「法による解決」と言っていますけれど、そこまで対米従属もきわまったかという印象を受けますが、ともかく野党の間は威勢のいいことを言うのが安倍さんの特徴です。2006年の首相になる前もそうでしし、今回もまさにそうでした。首相になる前は右翼の取り巻きたちと親密に仲良くするのですが、首相についたとたんにその人たちとの関係は疎遠になるわけです。それで右翼の人たちは怒るのです。曾野綾子さんとか櫻井よしこさんとかが、今まで言ってきたことと違うではないかと怒るのですが、首相となると彼らと付き合うことはできません。そういう羽目になります。しかし、それでも地金が出てしまうのです。2007年の3月、衆議院と参議院で「従軍慰安婦の強制の資料はなかった」と言ってしまって、アメリカの下院で批判を浴びてしまったことがありました。結局安倍さんは改憲策動にしても、反動的な自分の信条をやりたくてもできない、まわりが許さないという状況が生まれていたのです。


東アジアの平和をめぐる新たな情勢

 そういう2006年、7年の状況と比較してみると、今はどうでしょう。今は違います。意気揚々としていますね。これは今の東アジアをめぐる平和への脅威が以前とは違った状況になっていて、非常に複雑かつ多様な状況になってきているということの現れと言っていいかと思います。
 私は当時にしても今にしても、東アジアに於ける平和への脅威の最たるものは日米安保であると捉えています。アメリカはアジアに軍事的な睨みをきかすことを続けています。そしてその現れとして、普天間基地の移転の代替基地として辺野古をよこせということになっています。そして核の傘を戦略に維持し、オスプレイの配備を強行するという状況にあります。そういうアメリカを相手にして、この間民主党政権はどういう動きをしてきたかと言いますと、かつて自民党政権の時代に唱えられてきた「専守防衛」という考え方とほとんど変わらない「基盤的防衛論」という考え方(大規模な攻撃がきた場合は日本の力では太刀打ちできないから、アメリカに守ってもらう。日本に対する限定的な小規模な攻撃に対して、日本の自衛隊は対処できる。そういう防衛力を日本は持つべきだという考えかた)を捨てて、「動的防衛力」という言葉を採用しました。民主党政権はそれを捨てて、「動的防衛力」という言葉に置き換え、尖閣とか周辺の軍事活動を強化して行く方向に自衛隊を強化して行くという考え方を持ちます。これは単に言葉のロジックだけでなく、自衛隊の性格そのものを変える、海外にどんどん出て行くことを認めるということです。
 そしてまた武器輸出三原則の見直しも民主党の政権の中で行われました。「これからは安全保障上重要な国とは武器輸出をできるようにする」というのです。安全保障上重要な国というとアメリカですが、イギリスとも共同政策をやるのだと、キャメロン首相が日本にやってきたときに、決めたわけです。今最も深刻なのは、日本とアメリカで共同開発するF35という戦闘機をイスラエルに輸出するというのです。武器輸出三原則というのは「紛争当事国には出さない」ということを決めた原則です。本来なら9条のある国ですからつくらない筈なのですが、自衛隊をつくったときから武器輸出は始まっておりますが、その中でもせめて9条の下では紛争当事国には輸出しないということを決めてきたのです。これを紛争当事国イスラエルに出そうということなのです。政府は、これは日本が輸出するのではない、アメリカが輸出するのだと言っているようですがひどい詭弁です。
 日本とアメリカが東アジアに於ける平和への脅威をつくり出しているわけですが、みなさんご存じのようにそれだけではない。いろんな国がそれぞれの形でアジアに於ける不安定要因になっている。北朝鮮は前からそうでしたが、この間世襲の権力の移行に当たって、ミサイル実験とか、核開発のカードとか、それでも北朝鮮の動きというのは、ちょうど小泉さんが訪朝したときに拉致被害者の問題がそこで発覚をして、尚且つ北の核をどうするのだとアメリカから恫喝されて、拉致と核の2つで日本は北朝鮮に狙われているぞという宣伝がされたことで、小泉さんは日朝宣言を実行に移すことができなくなってしまったわけです。そういうときに比べると、今は北朝鮮の目的は何なのか、ミサイルにしても核にしても国際世論に刃向かってやる目的はどこにあるのかということを考えたときに、どうも北朝鮮の交渉相手はアメリカだ、アメリカと直接交渉をしたいために脅しをかけているのであって、日本が目的ではないということがかなり浸透してきている。かつて「日本危うし」と煽っていた右翼的なジャーナリズム系の人たちも、「今の北朝鮮の人たちの相手はアメリカである」というように変わってきている。相手がアメリカなら日本として何をやるべきかというと、9条を掲げて平和外交、東アジアに於ける平和的な外交を担当するということになるのですが、しかし相変わらず電車の中吊りでは「北朝鮮が攻めてくる」とか「中国の領土領有」などの見出しがまだ躍っている状況にあります。何よりも中国の尖閣の領有問題では、これを口実に安倍政権は東シナ海の守りということを言っています。韓国も竹島の実行支配の強化がありますが、韓国のイ・ミョンバク政権からパク・クネ政権に保守から保守への安定的な政権移行のためのパフォーマンスだったのではないかという気がするのですが、ともかくそういう動きがあります。これを口実にして、安倍政権は東シナ海の防衛ということで、民主党政権の下でつくられた防衛計画の大綱を見直すと言っています。また、11年ぶりに防衛予算を400億円増額すると言っています。このようにかつての安倍首相を苦しめたようなジレンマが前面に出るのではなく、どうも安倍政権を利するような複雑な国際環境が東アジアで生まれてしまっていて、これについて私たちは今後とも注意を要すると思います。しかし、中国の尖閣諸島の領有権の主張などとの関係でもやはり、決め手になるのは平和的な外交による問題の解決ということです。9条を軸にした外交ということ以外に物事の収まり用はないと思います。中国のこの動きは中国国内の政権が安定してくれば、お互いに棚上げということもあり得ると思います。

改憲政党としての自覚の高まり

 さて改憲勢力が大きく増えたわけですが、改憲勢力はどんな構想をもって私たちに挑んできているのかについてお話したいと思います。
 まず自民党ですけれども、昨年日本国憲法改正草案なるものを作成して、改憲政党としての自覚を高めたいとしています。自民党は2009年に総選挙で負けて野党になりました。1993年にも野党になっていますけれども、あのときはほぼ1年ぐらいで政権の座に自・社政権として復帰しています。今回は3年3ヵ月という長きにわたる野党暮らしでしたが、その中で自民党は自民党なりに深刻に考えたのですね。このままだともう亡くなってしまう危険性がある。その時に思いついたのはしっかりと支持してくれる人々をつなぎ止めておくことが大事だ。金をばらまいたり利益誘導したりしなければ支持してくれない浮ついた人たちは今相手にするわけにいかない。そういう人たちは民主党政権にすり寄っていますから彼らに声をかけるよりは硬い支持者をつなぎ止めることだというので、55年ぶりに党の綱領を作りました。「平成22年綱領」というのですが、その中には「日本らしい日本」という言葉がたくさん出てきます。自分たちは保守的な政党であるという自覚を持つというところにアイデンティティを求めたわけです。そして2012年に改憲案がつくられたわけです。とにかく復古的な人たちに受ける、よくやったと褒めて貰えるような改憲案にしなければという問題意識が先に立っていたのです。2005年の時にも改憲案をつくっていますが、あのときは逆です。民主党などにいっしょに改憲をしませんかと呼びかけるために外向けにつくられたものです。ですから例えば「天皇元首」などという言葉は出さない。あのときのまとめは舛添要一さんですが、彼にはそういう政治的なセンスはあったのですが、今回は非常に復古的なごりごりの保守の改憲案になりました。保守という言葉は例えば「自分は護憲という意味で保守だ」という人もいますから、保守と言うよりは反動と言った方がいいかもしれません。

 突出する復古調─自民党改憲案の中身を見る

 9条を変えて集団的自衛権の発動ができるようにしようとか国防軍を持てるようにしようとか、あるいは国家の緊急事態に対処できるようにしようとか、そういうことを盛り込んでいるわけですけれども、それだけではなくて憲法前文を全面的に書き換えてしまうという中身なのです。自民党の改憲草案では「日本国は長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家である」、私たちより上に天皇はいらっしゃいますという表現なのです。今の日本国憲法前文を削ってこういうものにすげ替えています。平和的生存権も消えてなくなっています。3条の2では「国民は国旗及び国歌を尊重しなければならない」と憲法に国旗・国歌をどうどうと盛り込んで、強制の根拠を憲法に持たせるということを考えています。1条では「天皇は日本国の元首である」ということも盛り込んでいます。あるいは12条「この憲法が国民に保障する権利およびに自由は、国民の不断の努力により保持されなければならない」この辺は今のものとほぼ同じなのですが、その次に「国民はこれを乱用してはならない。自由及び権利には責任及び義務が伴わなければならない。常に公益及び公の秩序に反してはならない」と非常に上から目線です。ここでいう公の秩序とは、日本国憲法がいう公共の福祉とは似ても似つかわないと考えます。日本国憲法では「公共の福祉に反しない限り権利や自由は尊重される」となっているのですけれども、そこで言わんとしていることは「私たち国民は平等に権利を持つ、だとすればお互いに持っている権利をお互いに尊重し合うには、他の人が持っている権利を侵害しない」フランス人権宣言にはこういう言葉があります「自由とは他人を害しないで全てのことをなし得ることである」誰もが自由であるとしたら、みんなが自由であるためには他人の自由を害することはできない、しかし他人の自由を害しない限りは誰でも自由を謳歌することができるという精神です。ところがそういう近代立憲主義の考えかたに反して「自由及び権利には責任及び義務が伴う」「常に公益及び公の秩序に反してはならない」いつもお上を意識しながら権利や自由を使えということです。これは全く別物の考え方です。
13条も公益及び公の秩序に反しない限りということが盛り込まれています。もう一つ自民党の改憲案の落第点についてなのですが、今の日本国憲法の99条(公務員の憲法尊重擁護義務)を解体して、国民に憲法を尊重する義務を課し、公務員にも憲法を擁護する義務を課すとなっています。近代憲法のイロハは、憲法というのは「基本的人権を宣言し、権力分立、さまざまな規定を定めることによって、公務員の権力の乱用を防ぐ」というもので、これが近代憲法のもともとの発想です。だから公務員に憲法の擁護義務を課しているのです。では国民はどうやって憲法を守るのかというと、「国民は憲法が保障する自由や権利を不断の努力によって保持する」ということになっています。またその基本的人権は「人類の多年にわたる自由獲得の成果である、これらの権利は過去幾多の試練に耐え、現在及び将来の子どもたちに対して侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」で、その基本が97条に入っている。12条と97条を読み合わせてみると、私たち国民も憲法を守る。しかし、守り方が公務員と違う。私たちは憲法が保障する権利を行使することによって憲法を守る。私たちは公務員がおかしなことをやらないように監視をするわけです、本当におかしなことをした場合は声をあげてそれを批判して、表現の自由とか集会の自由を用いて止めさせる。そして私たちが権利を行使することで初めて公務員の権利の乱用が止められて、憲法は守られる。
 ところが自民党の改憲案は、国民に「お前たちが憲法を守れ」と上から目線で憲法の遵守を求めています。これは明治憲法といっしょです。何よりも日本国憲法の97条をばっさりと削っていることです。これがあることによって私たちはしっかり憲法を守るということがわかるわけです。自民党は国民に権利を行使されると怖いと思っているのか、97条をばっさり削ってしまうという乱暴な改憲案を出しています。

活性化する右翼

 自民党はやりたいことは全て盛り込む、もう一つは党内外の非常に過激な右翼の活力を引き出したい、そのために復古調の部分が突出しているということもできると思います。最近右翼が妙に活性化しています。1月28日に3月3日にやる学習会のお披露目とか呼びかけ人みなさんの今年のアピールを紹介するために記者会見を国会でやったのですけれど、ちょうどその時は沖縄から自治体のみなさんが陳情に見えて、またそれに呼応するデモも取り組まれたのですが、そのデモをサンドイッチするような形で右翼のデモが行われたのです。日の丸を林立させて、大音響で「オスプレイ賛成」と叫んでいました。嫌がらせデモですね。国会を警備している警察は、それを取り締まらない。自分たちが騒いでも安倍さんは大目に見てくれると高をくくっているのだろうと思います。こういう動きが自民党の改憲案によって、「我々の出番だ」というように盛り上がっているのです。ともかくも改憲政党としての自覚を高めて、右翼的な結束の仕方が自民党を介して行われ、300近くの議席を持って国会での憲法審査会に臨むむという事態をよくよく私たちは警戒しなければならないと思います。

自民党の援軍─維新の会とみんなの党

 そこに日本維新の会がいわば援軍として登場してきます。維新八策をつくったときは、大阪維新の会としては9条改憲というのは表に出していなかった。統治機構をいじるのだということを主眼に据えていたのです。例えば、決められない政治の大本は参議院のせいだから、衆議院の力を強くして場合によっては参議院を廃止してもいい。決められる政治をしようと言ってきたのです。また、自分に都合のいい改憲の論点をこしらえるのです。「地方自治体の首長が参議院の議員に同時になれる」ということも書いています。多忙な地方自治体の首長が参議院の議員を兼ねるなどあり得ないわけです。橋下さんは選挙期間中市長の仕事を休んで選挙運動をやったわけです。嘉田さんも同じようなことをやって結局党の代表を降りましたけれど、知事でありながら国政に関わることがいかに困難であるかということです。ましてや法的には衆議院も参議院も全国民の代表であるわけです。全国民の代表であるなら自治体の代表にはなってはいけないのです。大阪府や大阪市の利益を代弁する、そういう人が同時に全国民の代表であるということはあり得ない。でも平気でそれをやりたい。自分が人気のあるうちに何でもやりたいということを考えているわけです。そういうご都合主義的な改憲案を持っていたのですが、維新の会は、石原さんや立ち上がれ日本と合流して、堂々たる9条改憲派になって、自主憲法制定とか、集団的自衛権の行使とか領海統治を定めた「国家安全基本法」を整備するということも公約で言っています。維新の会は単なる新自由主義的な改憲派だけではなくて、9条改憲も自分たちの主要な政策に取り入れています。そしてそこに、みんなの党、この党も今回、議席を増やしていますが、これが改憲の提言を出しています。この党の案は維新の会の改憲によく似ていて、自衛権についても盛り込んでいますし、非常事態体制についても書いていますので、9条改憲を問題意識としてしっかり持っている。

改憲策動の新たな切り口─「96条改憲」先行論

 そういう改憲派が国会の8割ないし9割を占めるような深刻な状況の中で、96条改憲の路線が飛びだしてきています。自民党も維新の会もみんなの党も、いきなり9条改憲を持ち出したら、もう一度9条の会の反発を招き、国民の反発心をかき立てることになってこれはまずい、96条という脇道から改憲を始めようということを言っています。それなら明文改憲には消極的な公明党におつきあいを求めることができるというもくろみなのだろうと思います。
 96条を変えて何をやろうとしているかというと、今の憲法では衆議院、参議院の3分の2がなければ改憲の発議ができないのですが、これを過半数でもできるようにするということです。つまり過半数を取って入れば、いつでも発議のスタンバイができるということです。これによって臨機応変な改憲ができるとい言うことが一つの眼目だろうと思います。しかし国会の議員の三分の二を改憲発議に課しているのは、憲法を変えるのは法律をつくるのとは違うのだということをうたっているわけです。国会議員も今の憲法の99条によって憲法尊重擁護義務を課された、れっきとした公務員ですから、国会議員は今の憲法を守る必要がある。しかしこれはどうしても変えねばならないと思ったときには発議ができる。しかしそれは衆参両院の三分の二が、これだけは変えなければいけないと合意ができるものに限って国民に提起できるのです。そういう高いハードルを改憲発議に求めているのは立憲主義(公務員の憲法擁護義務)の現れと言うことができるのです。ですから自民党あるいは他の改憲案は、立憲主義のイロハがわかっていないということになります。しかし、おそらく96条改憲先行論というのは、もしかしたらこれは改憲論を回していくためのネタにされるという気がします。本当に96条改憲でもって第一回をやるかどうかはまだまだ未知数なところがあると思います。何よりも第一回目の改憲が失敗してしまったら2回目以降はない。ですからやりやすいところからはいるつもりだと言うことでこれが出てきているのでしょうけれども、しかし、本当にこれが成功するかどうかは国民投票如何ですから、それで失敗しそうなものであればおいそれとは出せない。それくらい緊張感のあるテーマです。にもかかわらず彼らがこれを前面に押し出していくかというと、一つにはこれを持ち出すことによって憲法審査会が動かせます。憲法審査会の話のネタができます。その憲法審査会の中でも改憲の手続きはまだ完備していませんから、例えば18歳から投票できるようにするとか、公務員や教員の投票呼びかけ運動をどう規制するかとかが、宿題として残されています。それをするためにはネタが必要です。その後に96条の改憲ができるのではないかという面も見ていく必要があると思うのです、本当に96条で来るかどうかは話半分に見ていくといいでしょう。実際に恐ろしいのはこの96条の改憲が完成していくことだと思っています。

集団的自衛権─解釈改憲と「立法改憲」の動き

 こういった明文改憲の動きの一方で、解釈改憲、あるいは法律をつくっての立法改憲が進められようとしています。これも又私たち9条の会としては警戒しなければいけない。9条の会というのは9条改憲反対の一点で集う会ですが、解釈改憲は多少微妙な部分も含むのですが、でも9条改憲が行われるのと同じ実態がつくられることがあるのです。そういった面にも私たちは注意を向けていく必要があると思います。そういうものとして解釈改憲、そして立法改憲を見る必要があると思います。そして明文改憲と解釈改憲は安倍さんの得意技です。もうすでに2007年の段階からそのための懇談会を開いて検討をさせて集団的自衛権を今まではできないとされてきたけれども、これからはやれるようにしようというようなことを議論させています。この懇談会の答申が出るころには、彼は首相の座からいなくなっていましたから、結局これは使い道なく終わったのですが、この懇談会をもう一度同じ顔ぶれで動かして、風穴を開けていこうということを狙っています。

アメリカの圧力

 そういう安倍さんの動きがなぜ強まっているのかというのを考える上で、アメリカがこの間強くこれを要求しているということに目を向ける必要があります。昨年の8月にアンデスさんという人が中心になった報告書が出ています。その中では「集団的自衛権を日本が禁止しているのは米日同盟の障害物である」と言っています。ともかく集団的自衛権の解禁をしてくれと、そして報告書をよく読んでみると、明文改憲は後でいいから、まずこれを先にやってくれと読めるくらいです。さすがに明文改憲はしなくてもいいからと言うと、日本の改憲派は特に安倍さんなどは怒ってしまいますから、さすがにそういう書き方はしていないけれども、順序としては集団的自衛権の解禁の方が先だろうと読める報告書です。アメリカにしてみたら、これは早くやってほしいと矢の催促がきているテーマなのです。そういうこともあって安倍さんとオバマさんの間で、これから日米ガイドラインの再改定の交渉などが進められていって、より緊密な同盟関係をつくっていこうという話も今後進められると思います。そうしたことに呼応する形で自民党の中で、国家安全基本法案というものが用意されている、これなどをみると集団的自衛権のほぼ全面的な解禁が目指されていると言っていいと思います。

「国家安全基本法案」─参議院選挙後は要注意!

 「我が国、あるいは我が国と密接な関係にある国に対する外部からの違法行為に対して我が国は集団的自衛権を行使できる」という条文になっていますが、この条文のつくりは「国連憲章が定める集団的自衛権のほぼ全面的な開示になっています。ですからこれを使うとそれまで安保法政懇で積み上げてきた個別撃破的な集団的自衛権の行使どころか、正面突破、集団的自衛権の全面的な行使の方にむしろ進んで行くということになります。これなどは石破さんがやりたかったことです。彼は解釈改憲派のチャンピオンとでも言っていいでしょうか。これをこしらえたのは石破さんなのです。これなども参議院選挙の前にこれを打ち出すと、ほかの野党がついてこないとか選挙の時に不利になるとかということがあるでしょうから、すぐにこの国会で出てくるということではないかもしれない。しかし、参議院選挙の後にはこれは必ず出てくると思います。注意をしていく必要があると思います。そういう大変な状況の中でも私たち2013年を迎えたわけですが、それでも私たちが向きあう深刻な状況に対しても臆することはないと思います。私たちは第一期の安倍政権をあのような形で敗北に追い込んで、改憲派を窮地に陥らせた経験を持っているわけですから、もう一度奮い起こしてこの大きな改憲の企みに対してもう一度ノウ!を突きつけていきたいと思います。そのための大きな運動を広げていこうと言うことを強調したいと思います。